コミュニケーション”に関する一考察

2008/3/15

主題 コミュニケーション”に関する一考察

 サブテーマ ITマネジメント成功の種!(あらゆるプロジェクト成功の陰に有る技術)

ITC 武島 直行(No.00002711)

はじめに

 昨今のIT関連セミナーには”コミュニケーション技術”をテーマに取り上げたものを良く見かけます。
また、多くの参加者を集めているのもこの手のテーマのセミナーのように見受けます。
 これは、世間一般に、”コミュニケーション”の重要性あるいは、困難性が認識されているということと、考えます。
 ところで、一般の生活の中での”コミュニケーション”と何が異なるのでしょうか?
 親子・兄弟姉妹、友人、夫婦、etc
 ITはもとより、多くのビジネスの現場においては通常の”コミュニケーション”とは別の”コミュニケーション”が要求されているのでしょうか?
序論 “世間、環境の変化”

 昨年は史上希に見る暖冬、今年は例年にない”積雪”を記録するなど、異常気象?の一端を身近に感じております。
 団塊の世代の方々の退職時期も到来しつつあり、関連する報道も時折、新聞や雑誌に掲載されています。
 日本人いや、日本も随分と変わってきたように感ずるのも小職が年を取ったせいでしょうか。
本論1 ”恥を知れ!”

 私が小学校の6年生の時、今でも鮮明に残っている場面があります。
 授業中、黒板に示された問題を解くようにと、皆に指示があり、私も得意げに解いて、皆の解答を待っていました。
 皆が一通り解き終えて、正解が示されて、「正しく解けた人?」と、担任が聞いたので、私も”迷いながら”手を挙げていました(実は、解き方は合っていたけれども、途中の計算にミスがあって正解ではなかったからです)。
 担任は、何故か私のノートを見るなり、1発のビンタを右の頬に浴びせてきました。
“ビシイ”「恥を知れ!恥を!」と、一言頂戴したのですが、今でもその声を鮮明に記憶しています。
 これは、その後の私の行動規範を築いた一つの事件でもありました。
 (今の世の中、ビンタなんて暴力とされるのでしょうか)

 当時、幼いなりに、何故?って、考えていました。
 それも、スポーツを観戦していて、回答らしいことに気づいたのです。
(自慢ではありませんが、小職は勉強ではトップクラスで私立中学受験も打診されていました)
 ・ よく、バレーボールなどでタイムで選手が集まった際に、エース格の選手を中心に叱咤している光景
 ・ あるテレビ番組で、「そんなプライドなんか捨てろ!何の厄にも立たない」、という、先輩刑事?の一言
 ・ 何のポスターでしたか、「人が見てないと思って、ルールに反して良いのか?」という問いかけ

 これも一種のコミュニケーションと思います。この時の担任の気持ちがどれに近かったのかは不明ですが、確実に私に対する痛烈なメッセージであることには変わりありませんし、私自身、以降は世間に何らの背を向ける行為をすることはしない、と心に誓い、実行してきましたから、先生の行為は意味を持った、と言えると思います。

ただ、このコミュニケーションも欠点を持っておりまして、今でも当人に確認をしたわけではありませんから、一方的な理解に終わってしまっていることです。この場合、信頼感がないと成り立たないような、結構危険な意思伝達の手段であるように思います。

本論2 ”出来ました”と”判ってます”

 上司と部下の会話の中で、“出来ました”、という返事がでてきました。
 通常なら、上司はこれで収めることなく、”出来上がった内容の確認”を行わねばならないのですが、その時は、この上司は“そうか”と聞き流しました。
 このときも、私は“何故?”と感じておりました。
 案の定、そのプロジェクトは納期通りに終わらず、納期通り仕事を済ませていた私までもがその影響を被って、残業代も出ない残業(今は奉仕残業と呼ぶのだそうです)に半年余りを費やし、帰宅できたのは月に数日といった悲惨な毎日を元気に生きていた新人の時代が鮮明によみがえってきます。

 プロジェクト管理に関する技術も話題も今では、数段多く提供されている現在でありながら、多くのプロジェクトが予定通りに進んでいないのは何故なのでしょうか?
 小学生当時の私のような心境であったのか、会話や報告を適当に終わらせたい一心であったのか、なすべきことが判っていなかったのか、当事者のレベルが違いすぎるのか、...種々、要因を推察することが出来ます。
おそらく、その要因の最たる部分が解決されていないことは事実でしょう。
では、どうしてそのような事態に至るのでしょうか?

 “報連相”の訓練はどこの企業でも盛んに行われています。非常に結構なことです。
しかし、現実問題では研修した通りには行われていないのではないでしょうか?
どうして?
 教育・訓練は、OJTが最も効率が良く、仕事に反映できると思います。
 しかし、残念ながら、”報連相”やコミュニケーションの研修は技術研修ほど行われていないのではないでしょうか。人間関係はどうか?育ってきた環境の相違で、価値観や考え方の全く異なる人間の中での意思伝達は?
 果たして、コミュニケーションは上手くいくのでしょうか?多分、表面的いは行われていても、実際には機能していないのではないでしょうか。
 指示されることは楽であり、マニュアル通りに仕事を維持・運営していくことで一定の評価を得られれば、十分?と思っている人類はどれくらいおりましょうか。
 親子間でコミュニケーションがとれていない、そのような人間が、果たして他人とのコミュニケーションを行えましょうか?
 
 私は、見ず知らずの人に混じったときほど、マナー・モラルを気にしますが、今の若者たちは逆のように思います。
知人間での自分の評価やプライドあるいは気配りが優先されているからと、私は思います。
”恥”を感ずる場所が異なっているのでしょうか。

 「判っています」と答える方ほど、言動が不一致です。本当は判っていないのです。だから、注意されるのですが,指摘されることを好ましく思っていない人類は、必ず、「判っています!」と断言します。

 コミュニケーションはありがたいもの、と思えるようになれば、「ありがとうございます」と言えるようになれば会話も実のあるものになるでしょう。
 今、思い出す、松下幸之助氏の「素直になりなさい」。

本論3 ”水戸黄門の主題歌”

 「人生楽ありゃ苦もあるさ」、確かに言い当てています。
 今風の人類はやたら“苦”を嫌がります。
 常に“楽”でありたい、と本気で思っているのでしょうか?
 ”苦楽”の経験があるのでしょうか?
 何故、”楽だ””苦だ”と判断できるのでしょうか?

 これは推測ですが、”経験したこと”、”誰かが先に経験したこと”は”楽だから”自分もします、けれども、”自分が初めてするのは困る”、ことの意思表示のようにも思えます。
これにはマニュアルもありませんから。
 
 よく聞く言葉、「理解したら(納得したら)やります」もこれと同じ事を言っているのではないかと思います。

 人数の多少は関係なく、プロジェクトメンバーとのコミュニケーションは、ある意味で、文化の異なった外国人と仕事をするようなものと同じように考えています。
 扱う言語が共通である以外には、相互に理解・納得できる項目を多くしていく他はない、とも思えます。
 最終的には、相互にメリットを共有できる結果を生み出すことができるコミュニケーションの手段と実際が求められているように思います。
まとめ ”キャバ嬢との会話”

 あまり行ったことはないのですが、この手の商売の方と会話するのは結構楽しいものがあります。
 残念ながら、全員と言うわけではなく、特定の”売れっ妓”になりますが、彼女らは自分の欲しいもの、あるいはしてほしいこと、を相手の口で言わせることに長けています。
 当然、こちらの感情や素性とか予備知識とかをしっかり把握しているようです。

 よく、”相手の気持ちになって”とか、言いますが、”相手の考えること”や”言い分”とか、あるいは”表情の変化”とかを敏感に認識できない人類には、このような芸当が出来るとも思えませんし、期待するのも愚かに思います。
 これが出来るから、トップに君臨しているのだと思います。

 判りやすく言えば、「”相手が嫌がること”を、あなたはしてほしいか?」と問われた場合に、何をしたら嫌がるかが理解できない人類とは、この手のコミュニケーションは全く機能しないのです。

 この点では将棋とかは上手く出来ています。
 年齢差のある人間の間でも、決まったルールのもとで指すことに関しては”相手の指して欲しくない”所に”指す”ことが勝つポイントでもあるので、双方がそのように励みますから、目指すところも明確です。
 ここには、言葉ではありませんが、立派にコミュニケーションが成立している、状態であると思います。

 コミュニケーションは、当人に限らず、環境や条件によって成功の度合いが左右されます。
 単に小手先のコミュニケーションの技術だけを習得しても役には立たないように思います。
 皆さんは如何思われますか。
 
ラベル: ITマネジメント 下書き 08/03/15 by IT狸

  1. Keep up the good work.

    コメント by Martina — 2008/11/24 月曜日 @ 7:39:22

  2. Good words.

    コメント by Benita — 2008/12/5 金曜日 @ 10:45:07