「ドラえもんの最終話」を考える

2006/02/01

 
インターネットや同人誌の世界では、時折「ドラえもんの最終話」に関する話題が出てくる。もちろん原作者の手の届かないところで、誰かが勝手にストーリーを創り、ネットや同人誌の形で公開しているものなのだが、実にいろいろなパターンがあり、その想像力に驚かされることも多い。最近では、原作そっくりのタッチで作られたアニメーションまである。もちろん、「夢オチ」と呼ばれる、実は夢でした、というものもあるし、つまらないものや夢をぶち壊すものも多いのだが、時折素晴らしい作品に出会う。

最近も、記憶や思い出をプロットに組み込んだ秀逸な作品がネットを駆け回った。どのようなストーリーがあるのかは、ネットを「ドラえもん 最終回」などで検索すればいくつも出てくるので、その内容はここでは控えるが、基本的にはドラえもんが未来に帰ることにまつわるのび太くんとの別れをどのように描くかがポイントとなる。

ファンがサイドストーリーを作る例は、スタートレックやスターウォーズ等を例に挙げるまでもなく、ファンタジーやSF、アニメーション等を中心に世界中にあるわけだが、多くはマニア性を伴っていて、普通の人は楽しみにくい。

それにくらべると、ドラえもんの最終話というテーマは、設定は単純であるが、原作のテイストを引き継ごうとすると、制約が多く意外とつくりにくいものである。

のび太くんは、私たちの弱い部分を投影した姿であり、普段はそれを助けているドラえもんが居なくなることは、のび太くん自らがそれを悟り克服しようと決意する必要があるということである。

勉強が出来ないとか、鈍感だとか、喧嘩に弱いとかといったところは分かっていても、その原因やそれを解決するためには、ドラえもんが出してくれる便利な道具だけではなく、それを正しく使い続ける強い決意や意思が必要となる。ドラえもんの最終話では、そうした便利な道具も無く今の自分を克服してゆく必要が有り、そうした強い決意や意志をどうやって持たせるのかがプロット上とても重要なテーマとなる。

いろんな思い出を共有してきたドラえもんが未来に帰ってしまったり、故障して動かなくなってしまった時、のび太は何を悟り、どのような決意を固めるのか。そしてその決意はなぜ翻らないのか。説得力のあるストーリーは、原作者のものでなくても、十分感動を生む。

さて、コンピュータシステムは、時にドラえもんの道具のように見える場合がある。夢の道具のように見えて、実際に使ってみるとさほどでもなかったりする。システム以前に経営体質や意思の持ち方を変える必要があるのかもしれないし、道具(システム)の選び方が甘いのかもしれない。

経営体質を変えるためには、それなりの衝撃的な体験が必要なのだろうし、道具の選び方をシビアにする為には、自分自身を理解し、変身したい自分、克服したい部分をしっかりと持ち、そのアイデアをきちんと表現できるようになる必要がある。

ITコーディネータの役割は、便利な道具を出すドラえもん自身ではなく、のび太に悟りと強い決意をもたらす良質な「ドラえもんの最終話」の作者のようなものかもしれない。

ITコーディネータ/太田垣博嗣

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